デジタルレトロ波形

青春の記憶、パソコン通信とともに ~モデム音が繋いだ未知の世界~

Tags: パソコン通信, BBS, Nifty-Serve, 1980年代, 1990年代, コミュニケーション, インターネット黎明期

モデム音が扉を開いた「電脳空間」

1980年代後半から90年代にかけて、私たちの生活に少しずつ「デジタル」な波が押し寄せてきました。その波の一つに、パソコン通信がありました。それは、今日のインターネットが一般に普及するよりも前の時代に、電話回線を通じて遠く離れたパソコン同士をつなぎ、文字でコミュニケーションを取る世界でした。

当時は、まだパソコンを持っている人もそれほど多くなく、ましてや通信となると、一部の熱心な趣味人や技術者、ビジネスマンのものでした。しかし、少しずつハードウェアの価格が下がり、サービスの選択肢が増えるにつれて、パソコン通信は私たちの青春の一ページにも刻まれる存在となっていったのです。

受話器をガチャリと上げ、電話の音を拾うモデムにセットし、パソコンの画面に表示される「CONNECT」の文字と、ピーヒョロロという独特のモデムの接続音。あの音が聞こえてくると、まるで別世界への扉が開かれるような、何とも言えない期待感に胸が高鳴ったことを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

電話回線という細い糸で繋がった世界

パソコン通信を利用するには、まずパソコン本体が必要です。そして、電話回線を通じてデータをやり取りするための「モデム」という装置が不可欠でした。パソコンとモデムを繋ぎ、モデムと電話回線を繋ぐ。そして、パソコン通信サービスや個人が運営する草の根BBS(Bulletin Board System)と呼ばれる電子掲示板に電話をかけて接続するのです。

接続には電話回線を使うため、通信中は自宅の電話が使用できなくなります。また、電話料金は通信時間に応じて課金される「従量制」が一般的でした。そのため、ついつい長時間接続してしまい、後から届いた電話料金の請求書を見て青ざめた、という経験も、当時のパソコン通信ユーザーにとっては「あるある」だったかもしれません。深夜割引の時間帯を狙ってログインしていた方もいらっしゃったことでしょう。

当時は、ニフティサーブ(Nifty-Serve)やPC-VAN、ASCIISYSといった大手商用パソコン通信サービスが登場し、多くのユーザーを集めていました。これらのサービスには、様々なテーマごとの「フォーラム」(会議室)があり、興味や趣味を同じくする人々が集まって、日夜キーボード越しに語り合っていたのです。

キーボードが紡いだコミュニケーション

パソコン通信の核となる体験は、文字によるコミュニケーションでした。フォーラムでは、特定のスレッド(話題)に対して、皆が思い思いに意見や情報を書き込みます。顔の見えない相手とのやり取りだからこそ、普段の生活では出会えないような人たちと、深く語り合うことができました。アニメやゲーム、音楽といった趣味の話から、専門知識の交換、時には人生相談まで、様々な話題が飛び交っていました。

また、「電子メール」(Eメール)もパソコン通信の重要な機能でした。知っている相手に手紙のようにメッセージを送ることができるこの機能は、当時の私たちにとって、手紙や電話とはまた違う、新しいコミュニケーションの形でした。遠く離れた友人と、気軽にメッセージをやり取りできるようになった感動は、今も忘れられない思い出です。

フォーラムやメールでのやり取りには、当時のパソコン通信ならではの独特の文化やマナー、用語も生まれました。例えば、発言を盛り上げることを「ageる」、逆に沈めることを「sageる」、閲覧するだけで書き込まないことを「ROMる」(Read Only Member)、本名ではなくニックネームを使う「ハンドルネーム」など、今では当たり前のように使われる言葉の原型が、この時代に育まれたのです。

広がる世界とオフラインでの繋がり

パソコン通信は、単にオンラインで完結するものではありませんでした。フォーラムでの交流が深まると、実際に顔を合わせる「オフラインミーティング」、略して「オフ会」が開催されることもありました。画面の向こうにいた人が、現実の世界で目の前に現れる。その時の不思議な感覚と、初めて会ったはずなのに、なぜか昔からの友人のように打ち解けられる一体感は、パソコン通信が生んだ特別な繋がりだったと言えるでしょう。

パソコン通信を通じて、私たちは従来のメディアだけでは得られないような、ニッチでパーソナルな情報を手に入れることができるようになりました。それは、マスメディアが一方的に発信する情報だけでなく、同じ興味を持つ個人の生きた声が集まる、双方向性の情報空間でした。それは、来るべきインターネット時代、そして今日のSNS時代を予感させるものでした。

青春の記憶、デジタルな交流の原点

パソコン通信は、インターネットの急速な普及とともに、その主役の座を譲っていきました。電話回線ではなく、より高速で常時接続可能なインターネット回線が登場し、ウェブサイトという視覚的な情報空間が広がったことで、文字中心のパソコン通信は徐々に姿を消していったのです。

しかし、ピーヒョロロというモデムの音、画面に流れるテキスト、そして見知らぬ誰かとの真剣なやり取りや笑い。あの頃、電話回線という細い糸で繋がったパソコン通信の世界は、確かに私たちの青春の中にありました。それは、情報化社会の黎明期において、デジタルな空間でコミュニケーションを取ることの楽しさや可能性を教えてくれた、忘れられない記憶です。

当時のパソコン通信で知り合った友人とは、今も繋がりがある方もいらっしゃるかもしれません。たとえサービスは終了しても、あの時画面の向こうで交わした言葉や、共に過ごした時間が、私たちの心の中に確かに残っている。パソコン通信は、そんな温かい思い出とともに、私たちの「デジタルレトロ波形」の一部として、今も静かに輝いているのです。